清王朝の貴族・満州族の「旗人」が着用していたゆったりとしたワンピース型の長衣である。当時、漢民族は上衣とスカートのツーピース型が主流であったという。清末から民国にかけて西洋風のワンピース「チャイナドレス」へと変遷していく過程について考察したい。
清朝時代の服飾清朝時代の服飾制度によれば、長衣・袍(パオ)には、「礼服袍」「吉服袍」「行服袍」「常服袍」などの種類があり、「礼服袍」が最も正式なもので、朝会や祭祀などの場で着用するもので「朝服」「朝袍(チャンパオ)」と称された。
「吉服袍」とは、皇帝や官僚などが慶祝行事などの宴席で着用する服飾のことで、その多くは龍紋・蟒紋の文様があることから「龍袍(ロンパオ)」「蟒袍(マンパオ)」と称される。
皇族が着用するものは「龍紋龍褂(ロンウェンロングワ)」で、円い刺繍が施されている。 官僚が着用するものは、「対襟補褂(トイジンプグワ)」で、文官・武官のそれぞれの品位を示す四角い刺繍の「補子(プーズ)」が背と胸に縫い取られている。 「行服袍」は巡幸の時や狩猟・出征の時などに着用するもので「常服袍」とほとんど区別がない。
女性の服飾清朝時代の女性の服飾は、満州貴族の「旗人」が着用したゆったりとしたワンピース型の「袍(パオ)」と江南の漢民族が着用した上衣とスカートのツーピース型の「襦裙(ルーチュン)」の2系統であった。 晩清になると、この2つの系統は互いに影響しあい、辛亥革命を経て、西洋近代化の課程の中で、1920年代に身体の曲線を顕著にしたワンピース型のチャイナドレス・旗袍(チーパオ)へと変遷した。
民国時代19世紀末から20世紀初めにかけて、「中学為体、西学為用」のスローガンの下で積極的な「洋務運動」が繰り広げられ、西式服装と先進的な生産技術が流入して伝統的な旗袍(チーパオ)もワンピース型のチャイナドレスへと変化していく。
1920年代の上海を中心に「馬甲旗袍」が流行し、1930年代になるとハイヒールの世界的潮流に合わせて丈の長い「掃地旗袍」が流行した。このほか袖の長短、襟の高低、裾の開け方等による流行が見られる。
民国時代の男性の服飾民国時代の男性の服飾は、長衫(チャンシャン)・長袍(チャンパオ)と称される長衣に、短い上着・馬褂(マーグワ)である。清代までとちがって刺繍はない。 肉体労働者は動きやすいようにと、短い上着・短衣(ドアンイ)とズボンである。
旗袍(チーパオ)からチャイナドレスへ民国時代の子供服は「褂(上着)」「(ズボン)」「裙(スカート)」「帽」「鞋」「肚兜(腹掛け)」等があげられる。子供が長命でありますようにと「寿老人」が刺繍されたり、鞋や帽子に魔除けの意味で、「老虎(トラ)」などの動物が模られている。