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東アジア海文明の歴史と環境 編集 コメント書込み(0)

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東アジア海文明とはこの節編集目次へ

日本・中国大陸・朝鮮半島・台湾に囲まれた海域はそれぞれの国の立場から日本海や東シナ海、東海など様々な呼び名があります。それは歴史的な経過の中で各々の国家によって設定されたものです。しかし、中国の黄河や長江から発生した文明は、両大河の下流域の平原を経て、沿海部から海を伝って朝鮮半島さらには日本へと伝わりました。さらに、その文明は相互の交流を通じて「東アジア海文明」とも言うべき高度な文明を築きあげたと言えるでしょう。当研究交流課題ではヨーロッパ世界の地中海や北米大陸の五大湖にあたるような内海とも言える海域を「東アジア海」として設定し、そこで形成された「東アジア海文明」の特質と自然環境とのかかわりを考えたいと思います。
 現在、東アジアは政治的に様々な問題を抱えてはいますが、それとは反対に経済的には一体化しようという東アジア共同体の動きもあります。本研究交流は、各国の研究者が相互に往来し、過去の東アジア社会の追求から未来の共存のありかたを「共通の場」で考えてゆくという意味において国際的に重要かつ不可欠なプログラムと言えるでしょう。まさに、これは未来の「東アジア海文明」を創造してゆく作業にほかなりません。

新しい文明のかたちをめざしてこの節編集目次へ

「東アジア海文明」という新しい概念は、一つにはこれまで学界でも使われてきた東アジア世界という歴史観の延長上にあります。しかし、そこに文明という視点を入れたのは、コーディネーターがこれまで中国文明という大きな文明観のなかで中国古代史を考えてきた新しい流れを加えたからです。海洋アジアとか環日本海という見方も出されていますが、何といっても特徴的なことは、海域世界のなかに中国の黄河長江両大河下流平原の区域を入れたことです。両大河のもたらした自然環境が、東方の海域にどのような影響を与え、それを歴史的な環境としてどのように理解するのか、これまでまったくなかった視点です。黄河は山東丘陵の南北に大きく流れを変えてきましたが、それが海域の半島・島嶼区域にどのような環境の変化をもたらしたのかなど、まったくわかっていません。黄砂が東アジア海区域に広がっているのも、黄土高原の自然と人間の環境の歴史を見なければ理解できないのです。黄河が渤海湾から東シナ海に河口を変遷させたことが、東アジアの海の交流史にどのような影響を与えたのかも解明されていません。歴史・考古・地理の分野と自然科学の衛星画像処理・海洋学・気象学などの諸分野を統括して、是非新しい東アジアの海の文明が私たちの世界を取り巻いていたことを明らかにしていきたいと考えています。

拠点期間と協力期間この節編集目次へ

日本側拠点機関

学習院大学この節編集目次へ

(图)東アジア海文明の歴史と環境東アジア海文明の歴史と環境

本学は京都学習院以来、150年にわたって高等教育機関として研究教育活動に従事してきました。戦後には新制大学となり、末松保和(朝鮮史)・小倉芳彦(中国古代史)・柳田節子(中国近世史)・高田淳(中国思想史)・原島春雄(中国近代史)など著名な研究者によって、歴史から現在を考えるという、学習院の伝統的東洋学の学風がつくられてきました。

 現在では文学部に3名、外国語教育研究センターに3名、法学部に3名、東洋文化研究所に2名、計11名の東アジア関連研究者が所属しています。文学部の史学科には東洋史教員が2名、日本史教員が4名おり、博士後期課程まで設置しています。在学中に多くの学生が中国・韓国に留学し、現地調査と文献資料にもとづく論文を書いています。また、文学部教職課程に東アジア人文地理学の教員が1名います。外国語教育研究センターは中国・韓国の語学教育とともに、言語・文化・思想等の研究をすすめ、雑誌『言語・文化・社会』を刊行しています。52年の歴史を有する東洋文化研究所は中国・韓国の機関と共同で東アジアの歴史・思想・教育などに関するプロジェクト研究をおこなってきました。その研究成果として『東洋文化研究』などの雑誌や単行本を出版しています。また、研究所は1950年代に、中国科学院・郭沫若氏の寄付により『李朝実録』や『三国史記』といった朝鮮史の基本典籍の影印刊行をおこないました。
韓国側拠点機関

慶北大学校師範大学この節編集目次へ

  

(图)東アジア海文明の歴史と環境東アジア海文明の歴史と環境

 韓国側拠点機関の慶北大学校は釜山と仁川を結ぶ韓国中南部の大邱に位置しています。歴史科では韓国屈指の雑誌『中国史研究』を刊行するなど韓国における中国史研究の中枢となっています。また、朝鮮半島と日本の交流史の研究もさかんにおこなわれています。
 学習院大学と慶北大学とは1998年に交流協定を結び、これまで10数名の学生が相互交流しています。また研究者交流も盛んで、韓国側コーディネーター任大煕氏はかつて東京大学に留学し、鶴間和幸氏の前任校に専任教員として赴任したこともあります。その後は学習院大学とも研究協力をすすめています。
 張東翼氏は元寇に関するNHKの番組で解説者として出演するなど、日本と韓国の中国史研究者を結ぶ重要な役割を担っています。李文基氏は2000年~2001年にかけて学習院大学文学部客員研究員として招聘しました。その間に学習院大学人文科学研究所で講演をおこなったほか、『東洋文化研究』4号(学習院大学東洋文化研究所刊行)に「最近の韓国学界における韓国古代史研究の動向-新羅史関係資料問題を中心に-」を寄稿していただきました。
 

中国側拠点機関

復旦大学歴史地理研究中心この節編集目次へ

   

(图)東アジア海文明の歴史と環境東アジア海文明の歴史と環境

中国側拠点機関の復旦大学は発展著しい中国沿海部の上海を代表する中国屈指の重点大学です。歴史地理研究中心は本事業に不可欠な文献情報・GIS(地理情報)・古環境分析技術の分野の研究蓄積があり、また、当該分野では最も権威のある雑誌『歴史地理』を刊行し、中国におけるこの分野での最高峰の研究機関です。
 学習院大学は復旦大学とは1992年に交流協定を結び、それ以来、日本側から20名をこえる学生・大学院生が留学し、中国側からは各分野で著名な研究者を客員研究員として招聘しました。当研究交流で復旦大学から参加する研究者のうち、中国側コーディネーターの葛剣雄氏は1997年に学習院大学東洋文化研究所で中国の歴史地理研究に関する講演をおこないました。
 日本側コーディネーター鶴間和幸氏は1989年に歴史地理研究中心の周振鶴氏と山東半島における共同調査をおこない、村松弘一氏は2002年にGIS(地理情報)担当の満志敏氏や周氏と歴史地理・環境史の分野での今後の日中研究者交流について相談するなど、歴史地理研究中心とはこれまでも親密な関係を築いてきました。

参加研究者紹介この節編集目次へ

鶴間和幸(学習院大学文学部教授・中国古代史)
  『始皇帝の地下帝国』講談社、2001年
  『秦の始皇帝-伝説と史実のはざま』吉川弘文館、2001年
  『中国の歴史2-ファーストエンペラーの遺産』講談社、2004年

諏訪哲郎(学習院大学文学部教授・東アジア比較教育学)
  「北京市の青少年科技館と環境教育」
     『東洋文化研究』2号、学習院大学東洋文化研究所、2000年
  「韓国第7次教育課程の「裁量活動」と日本の「総合的な学習の時間」」
     『学習院大学文学部研究年報』49輯、2002年
  「東アジアにおける環境教育のひろがり」
     『東洋文化研究』7号、学習院大学東洋文化研究所、2005年

高柳信夫(学習院大学外国語教育研究センター教授・中国近代思想史)
  「梁啓超の所謂「転身」について -『新民説』「論私徳」とその周辺」
     『東洋文化研究』4号、学習院大学東洋文化研究所、2002年
  「『政治講義』に見る厳復の思想的特質」
     『中国-社会と文化』18号、中国社会文化学会、2003年
  「梁啓超「開明専制論」をめぐって」
     『言語・文化・社会』1号、学習院大学外国語教育研究センター、2003年

鐘江宏之(学習院大学文学部准教授・日本古代史)
  「9世紀の津軽エミシと逃亡民」『弘前大学国史研究』114号、2003年
  「内舎人と地方社会」笹山晴生編『日本律令制の構造』、吉川弘文館、2003年
  「律令行政と民衆への情報下達」『民衆史研究』65、2003年

村松弘一(学習院大学東洋文化研究所助教・中国環境史)
  「中国西北地区環境史研究与緑化活動」(中国語)
     『西北地区農村産業結構調整与小城鎮発展』西安地図出版社、2003年
  「黄土高原西部の環境と秦文化の形成―礼県大堡子山秦公墓の発見―」
     『学習院史学』42号、学習院大学史学会、2004年
  「秦咸陽和漢長安的城市水利与環境」(中国語)
     『秦漢史論叢』9輯(中国秦漢史研究会編)、三秦出版社、2004年

 

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