パルテノン神殿パルテノン神殿は、外部を囲む柱はドーリア式オーダーだが、西側の後陣内部ではイオニア式オーダーの様式を取り入れている。それまでの方式では、一つの建築に様式を混在させることはなかった。神像の安置された内陣は、コの字型に上下2段のドーリア式オーダーが配置され、アテナ神の格調高さを補強したが、これは今日では殆ど残っていない。 アクロポリス神域に残る神殿のうち、アテナ・ニケ神殿、エレクテイオンはイオニア式で、特にエレクテイオンは、イオニア式を用いた神殿の至宝といわれる。これらの神殿は、アクロポリス神域において、ドーリア式のパルテノン神殿をより一層引き立てている。
ギリシアの首都アテネ、町の中心に険しい石灰岩の丘がそびえている。両方を除く三方が絶壁の丘は、紀元前15世紀の昔から、戦時には砦の役割を果たしていた。紀元前447年、第2次ペルシア戦争に勝利したのを機に、町の守護神・知恵の女神アテナに捧げる神殿「パルテノン」が建てられた。以後、この丘は、都市市民にとっての精神的な中心となる。これがアクロポリス、「高い丘の上の都市」を意味する聖域である。 15年かけてつくられたドーリア式の白亜のパルテノン神殿は、当初は全体が彫刻像やレリーフなどで飾られた、とてつもない芸術作品だった。高さ12m、青銅製のアテナ神像が置かれ、屋根と柱の間(メトポ)には、神話や歴史を題材にした色鮮やかなレリーフが、90枚以上並んでいたらしい,現在でも、下部直径2m、高さ10mもの巨大な柱がずらりと46本並ぶ様は圧巻である。そして、アテネの町のどこから見ても感じられるその威容は、まさに「聖」の美しさと力といえよう。 しかし、ローマ帝国支配下に入ると衰え、17世紀後半には廃墟となった。 アクロポリスの北西部には、市民生活の中心として、アゴラと呼ばれる広場が広がっている。泉があり、ストアと呼ばれる多目的施設があり、活気あふれる市場があり、議会場もあった。こちらは「俗」のエリアである。市民とともに、ソクラテスやプラトンといった賢者たちも弁説をふるっていた。古代ギリシア最大の都市国家、(ポリス)となったアテネは、人類初の民主政治が実現した場所でもある。そして、アゴラに集まる人びとは、丘の上の聖なる神殿を見上げ、自分たちの都市への誇りを感じていたであろう。アクロポリスの出土品は、アクロポリス博物館や国立考古学博物館に所蔵されている。