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王政復古と共和制(フランスの歴史) 編集 コメント書込み(0)

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1815~1851年
1815年、ナポレオンの影がまだあちらこちらに漂っていました。王政復古によって再び権力の座についたブルボン家の王朝はその影響に耐えることになります。
 
当然のことながら、新たに復活した王政は、革命派の脅威におののきながら危機感を覚えていました。パリのチュイルリー宮palais des Tuileriesでは柵と壕が拡張されました。1821年のセント・ヘレナ島でのナポレオンの死去が伝えられると、ナポレオン派が勢いづきます。1824年にルイ18世が死去すると、その弟のシャルル10世が王位に就きました。
 
政党間の対立、矛盾する選挙、新聞に掲載される様々な意見―。民衆が意思を表明する一方で、軍はアルジェリアを征服します。
 
1830年7月、いわゆる「栄光の3日間」(7月革命)によって国王シャルル10世は亡命し、王党派の政治家、アドルフ・ティエールAdolphe Thiersの力で、国王の従兄弟にあたるルイ・フィリップが王位に就きました。フランスでは社会運動が盛んになります。民衆は不満を口にし、ブルジョワ階級が富を蓄え、知識人は意見を主張しようとしました。フランス革命に影響された革命的な動きは、ヨーロッパ全土に広がってゆきます。
 
1848年の「2月革命」では、作家のラマルティーヌが決定的な役割を果たすことになります。パリ、そしてフランスは内戦の危機にさらされました。労働者は過酷な状況に置かれ、失業問題の解決や労働時間の短縮、普通選挙などが求められていました。パリで民衆が蜂起しバリケードが築かれると、第二共和政の政府は暴力的にこれを鎮圧します。フランスを支配していた混乱と暴力は、人々を新しい希望へと向かわせることになりました。同年に行われた選挙で、ルイ・ナポレオン・ボナパルトを大統領に選出したのです。彼は1851年のクーデターを経て、1852年には皇帝に選ばれることになります。

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