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1870~1914年
普仏戦争中の1870年、プロイセン軍はパリのすぐ近くにまで迫っていました。コミューン政府による民衆蜂起はバリケード上で終焉を迎えます。コミューンは、共和政派となったティエールの命令を受け、流血のもとに鎮圧されたのでした。
フランスは1873年にようやくプロイセンの占領から解放され、第三共和政が樹立します。ティエールA. Thiers、マクマオンMac-Mahon、グレヴィーJ.Grevyが歴代の大統領を務めました。首相ガンベッタL. Gambetta、フェリーJ. Ferryのもとで、左翼的な思想は共和主義的なブルジョワジーの理念への扉を開き、反聖職者主義的政策、無償初等義務教育、離婚の合法化が政府の決定する社会的措置の最初のものとなりました。
フランスは植民地拡大のため、チュニジア、エジプト、ヴェトナム北部のトンキンに侵攻しました。そんな中、政治的内部抗争がブーランジェBoulanger将軍とサディ・カルノーSadi Carnot大統領を中心に激化しました。パナマ運河やロシア借款や有名な「我弾劾す!」でエミール・ゾラが論陣を張ったドレフュス事件(1895年)をめぐるスキャンダル、およびワルデック・ルソーWaldeck-Rousseau内閣下における左派ブロックの動きは、1887年から1906年にかけてのこの混乱期をよく表しています。政府は揺らぎ、教会の財産は国有化されました。左翼の『ユマニテ』Humaniteといった新聞が民衆に情報を与え、ストライキや社会運動が全国に広がります。1900年の万国博覧会はフランス植民地帝国の新しい力を反映したものでしたが、首相クレマンソーG. Clemenceauの強硬姿勢にもかかわらず、ドイツの脅威は日増しに大きくなりました。ファリエールFalliere大統領(1906~1913年)のあとをレイモン・ポワンカレRaimond Poincareが引き継ぎます。帝国主義戦争に反対した平和主義者のジャン・ジョレスJean Jauresは暗殺されました。1914年、第一次世界大戦が勃発します。
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